兼題『秋晴』
今回も大学の合気道部の先輩と投句している俳句投稿サイトのお便りコーナーの文章です。
母が他界した後、八月末の投句だったと思います。
暑いなか、この時期の爽やかさを想像しての投句でした。
◆今週のオススメ「小随筆」
お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪
●古来豊年万作を祝い、神に感謝するであろう秋祭り、ただ浮かれ楽しい秋祭りを享受する子どもたちにとってそんな理由はどうでもよいことだろう。
しかし、私は子供の頃秋祭りの日に母の用意するハッピに神聖なものを感じていた。
年に一度だけ兄と私の枕もとに用意されるハッピは糊がよく効いていた。
我が家で洗濯物の中で糊が効いているのはこのハッピだけだった。
職業婦人である母にこの洗濯での糊付けの一手間は余分で面倒なことだったのではないのかと今考えてしまう。
しかしながら、よくよく考えると母は農家の出身である。
これは手間がかかっても重要な作業と位置付けられていたものかも知れない。
終戦で上諏訪の日赤病院から実家へ戻った母は、胸まで泥の田に浸かって田植えをし、朝から晩まで男の働き手と共に働いたと伯父貴から聞いた。
子どもを育てるように米を育て秋の稔りを皆で祝ったのであろう。
母は秋祭りの本当の意味を知っていたのかも知れない。
そしてその秋祭りのためのユニホームであるハッピは特別なものだったのかも知れない。
ハッピ姿の男衆の中には母の初恋の人がいたかも知れない。
あの世に行ってしまった母に今では確認のしようもないことである。
神聖以上の思いもハッピにあったのかも知れない。
そして、その後実父に東京に行って自分の意志を貫けと、背中を押されて看護師に戻った。
秋祭の一日は私と兄にとってはいつもより多めの小遣いがもらえて終日外をほっつき歩いていても叱られることの無い素敵な時間だった。
母の用意した糊のよく効いたハッピを羽織ってだ。
私はこの時の『秋晴』の強い陽射しを肌で覚えている。
夏休みに黒く焦がしたまだ細かった二の腕に、しわの無かった真っ黒な顔に夏のそれとは違う刺すような強い陽射しを感じたのである。
秋晴れのなか、澄んだ空気のなかの強い陽射しも考えてみれば神聖なものであるかも知れない。
この時期がやってくる度に、私は秋晴の空の下、乾いた空気の中で母の事を思い出すのであろう。
年老いて死んでしまうまで毎年思い出すのであろう。/宮島ひでき