スタンディングみや(でした。)

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残りの秋の夜長

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NHKのラジオで音楽療法士の書いた本の紹介を聞き、移動中どうしてもそれが読みたくなってKindleで購入した。

 

このKindle、なかなか曲者である。

本の所有は極力減らそうと思い、電子書籍に再乗車したばかりであるが夜中でも気になる本があれば購入できてしまう。

やらねばならないことを置いてしまう。

自分で自分の首を絞めているのである。

 

本屋をウロウロする楽しみが減ってしまったのだが、しばらくはこの無限に近く検索出来る書籍の世界を24時間彷徨ってみたいと思う。

 

さて読み出した本は音楽療法士である女性の著作である。

アメリカの大学で学び、経験・実績を積んできた著者の実際体験した話を積み上げた内容のようである。

 

人間の最後まで残る感覚は『聴覚』であるということを主軸に話が進められているようである。

音楽の力で最期に自分を取り戻し家族との魂のやり取りが出来て、永遠の別れという辛い事実を家族に受け入れさせて旅立って行く。

素晴らしい話しである。

 

ここでふと思ったのは私の母のことであった。

不思議であるが、三姉妹の母達は三人揃って極度の難聴であった。

いま、一人東京に残る伯母さんもほとんど聞こえていない。

 

こんな人達はどうなるのであろうか。

最期は耳元で大きな声で母に話しかけていた。

それが脳に届いていたかどうかは疑問である。

 

なす術が無い、というよりもやる事が無く、最期は母の手を握っていた。

たぶん私の手だと分かってくれていたと思っている。

時々力強く握り返してきた。

聡明な母であったから、長く病床に横たわるような最期は望まなかったと思う。

最近、母の知人達から私がまだ子供の頃から「秀樹に一番苦労をかけてしまう」と母が言っていたと聞いた。

 

ある意味私の人生を見通していた母である。

その母が最後に何を考えていたのだろうかとずっと思っていた。

認知症になっての長い期間、母とは話してみたい事がたくさんあった。

 

この本を読み出して考えたのは『触覚』も最後あたりまで残るんじゃないかという事であった。

寝てばかりになった時期からする事が無く手を握っていると思いもかけない力で握り返してきた。

それが何かを言っているんじゃないかと思っていた。

時々認知症の母が我に帰るタイミングだったのではないかと思っている。

 

音楽も好きな母であった。

陽気な母であった。

ほとんど聞こえない母に音楽を聞かせてやることも叶わず最期を迎えさせしまったが、母が本当に心配だったのは障害者としてこの世に送り出してしまった兄ではなく、私だったのかも知れない。

私だけを最後の最後まで息子と認知していた。

 

胎児が母体で初めて耳にするのが母親の心音だそうである。

そして、その聴覚が最後まで残るそうである。

 

母の死と重ね合わせてこの本を大切に読んでいきたい。

ホスピスでは戦争体験者、自分の意思に背いて殺人を冒した人の話を聞いたり、ホスピス以外で障害児との接触もあるようである。

 

しばらくは寝る時間を削って残り少なくなってしまった秋の夜長を楽しみたい。