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自動運転技術について

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人と自動車の自動運転の話をしていた。

SF小説の世界がもうそこまで迫って来ているようである。

 

そもそもなぜ、運転技術の自動化なのかだが。

一番は運送業界のマンパワーの不足のようである。

ドライバーの高齢化と、ドライバーへのなり手の不足のダブルパンチである。

国内輸送の九割を担い、日本経済をここまで下支えしてきた基幹産業でありながら、3Kで給料が安ければ若者たちが見向きもしないのは当然であろう。

 

消費者は『良い品で安いモノ』と都合のよい事を求め、勝ち残りのためにそのオファーに応える企業が力の弱い場所にまで歪みを押し付ける。

その結果が今の状態なのであろう。

薄利多売の巨大企業はそれでいいだろうが、個人商店ながら真面目にキチンとやってきた運送会社はたまったものではない。

 

どうやら自動運転はそういった社会の均衡を是正することが目的ではないようである。

 

総人口減少、生産労働人口の減少と高齢者の増加への対処であり、お決まりの環境問題解決と、交通事故の撲滅という命題を抱えているようである。

 

子どもたちの未来のためであるなら、池袋で起きた年寄りの暴走運転による悲劇を無くす、そんな解決策になるのであるならば大賛成である。

 

しかし、『理想と現実』にはそんな言葉があるように簡単に片付けれる事ではなさそうである。

 

高速道路の隊列走行が行われ、いつの日かレベル5という完全自動運転化される日が来るのであろう。

 

自動車メーカーだけで完結できる自動運転ではない。

GPSの技術や道路、隊列走行を受け入れる道路やトラックステーション、法整備、もっとたくさんの科学技術が粋を集めて備えている。

情報伝達の4Gから5Gなんてのも、スマートホンの世界の事で意味が分からないと思っていたのだが、大容量の情報を高速で伝える技術は瞬時の判断が事故につながる自動運転には必要不可欠な事と言われて初めて重要性が理解できた。

 

たくさんの技術が集まりこれから花を咲かせようとしている。

2050年目標の脱炭素化宣言も拍車をかけるであろう。

来年夏のオリンピック・パラリンピックもそうである。

1964年前回の東京オリンピックでは日本の家庭にテレビが普及した。

中止となったオリンピック会場には無人の電気バスが走る予定だったとの事である。

2021年オリンピック・パラリンピックで自動運転がお披露目されて認知されるのであろうか。

 

話しを聞くうちに自動運転が良い事なのかそうでないのか分からなくなってしまった。

各企業は金儲けが最終目的である。

その中には運送業界で必ず生まれるであろう失業のような相反する矛盾も出てきてしまう。

 

自動運転技術が100年に一度の大改革というのであれば、100年に一度くらい儲けは度外視してまずは世の中の仕組みの改革からやってもらいたいものである。

 

そうしたら自然と皆が認める適切な利潤はついて来るように思う。