今日も変わらぬ通天閣
日曜日、合気道の稽古の日。
新型コロナウイルスの感染者増加によりこの先にまた暗雲が垂れ込み始めている。
まだこの時点ではどうしようもない、その時が来たら判断しようと思う。
さて、ここ数日の間、自動運転の事でやり取りが続きいろいろ考えてきた。
そんな中、ホンダがレベル3の自動運転機能を搭載したレジェンドを発表した。
レベル3は、人は万が一の時にハンドルを握れるように備えなければならないのだが、車が主体になって自動走行する誰もが想像する自動運転だ。
国が発表している自動運転のロードマップに『2020年には高速道路での自動運転を行えるレベル3の市場化を目指す』とある。
このレジェンドは国交省からの認可を受けており、レベル3の実用化を国が承認したのは世界初だそうである。
なお、このレジェンドの高速道路での最高速度は60キロという制限があるそうである。
ホンダは今年度中に国内で発売すると言うから作られたロードマップの通り多少の無理の中進められているような気がする。
九州の阿部さんに「まだまだ山積する問題がある」と指摘を受けたがその通りだと思う。
たくさんの事を考えているうちにふと思った事がある。
そもそもなぜ自動運転なのか、の理由に人口減少による労働力低下の解決、EV化しての環境問題解決、そして交通安全と続く。
この『交通安全』である。
自動車のない世の中を考えることは出来ないが、この自動車が無ければ交通事故は無いのだ。
製品として送り出しているモノが人を傷つけたり殺したりする、そんな企業は考えても武器を作る会社しかない。
直接、間接的な軍需産業は日本にもたくさんあるが自動車は身近な日用品と言ってもいいくらい生活に不可欠なものである。
なんだか、世のために考えた理論が原子爆弾に結びついていったアインシュタインの苦悩のようなものをトヨタやホンダの歴代の経営者たちは感じたのだろうか、とため息が出る。
愛知県出身の私には子供の頃から馴染みの深いトヨタであり、ホンダである。
自動車が無ければ無くなる交通事故、でもそれでは私たちの生活は成り立たない。
こんな堂々巡りのような話は世の中にたくさある。
本当に必要な事を行う。
それも一部のみの営利のためだけではなく世の中全体で享受出来るような目的を持って行う。
もう、そんな世の中になってきているんじゃないかと思う。