正月に考えたこと
この歳だから考える事であろう。
この正月は初めて愛知に帰らずともよくのんびり自分の時間を過ごすことが出来ると楽しみにして来た。
しかし、過ごしてしまえばそうでもなかった。
決まった時間に起きなくともよく、決まった時間に家を出て仕事に向かうことも夜中パソコンにかじり付く必要も無かった。
ニューコロナでどこにも行かず、掃除、片付けは割りと手間無く終わり、好きな時に本を読み、眠気が襲ってくればベッドに横になり、時間が来たらメシを作り食べる。
あとは風呂に入っていつもより早く寝る。
これが何日も続くと退屈である。
家内とくだらない事で喧嘩になる。
なんだかいつでも眠い。
リタイア直後ってのは皆こんな思いをしたりするのかなぁ、と思った。
私だけがそう思うだけなのかも知れない。
私がよく知るある会社の社長が言ってた事が頭をよぎった。
その社長は私の二回り上、84歳で現役の社長をやっている。
早く息子に譲ってはと言ったが、頑として私の言うことは聞かなかった。
そして、その社長の大学の同級生が口を揃えて言うそうである。
「お前の生き方が羨ましい。正解だ。」と。
皆、84歳である。
もう鬼籍に入ってもおかしくない全員が言う、と。
それこそ悠々自適に生きていける人達ばかりだが、何もせずままに生きることはいつまでも難しいということなのかも知れない。
いい意味でのスリルやストレスが生きていくためには必要ということなのだろう。
私だけに限ったことかも知れない。
考えようによったら、自分や家族の病気も不幸では無い。
自身が生きていくためのいいストレスと考えた方がよいかもしれない。
どうせ逃げる事が出来ないならば、前向きに考えるほうが得である。
こんなふうに思うのは私だけかも知れない。
この正月休みに考えたことである。