スタンディングみや(でした。)

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京都で過ごした時間 その5

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京田辺では着工から竣工まで、そして二期工事も時間をおいて行われて延二年間ほどいた。

他の工事も京都北部の舞鶴や日吉町、京都市内を飛ばして京都の端っこに近い現場の兼務が続いた。

これも事務課長に嫌われたことも関係した。

 

ペーパードライバーだった私は通勤のために車を買った。

現場の大小関係無く、事務屋のルーチン作業は同じ手間であった。

そして当然、締切の期日は同じだった。

電車で移動していたら全ての担当現場のそれを間に合わせることは出来なかった。

毎月二晩徹夜した。

車の中でよく寝た。

 

はじめてのマイカーは金も無く、軽自動車を買おうと中古車屋で探した。

あらかじめ、赤色はやめよう、オートマにしよう、クーラー付きにしようと心積りして行ったが、

買えたのは赤のクーラー無しのマニュアル車だった。

それで京都中を走り回った。

懐かしいスズキアルトである。

 

一時期京都市内の現場を担当させてもらった。

御所の近くで大きなホテルの新設があり、竣工後小さな増築がありそこの現場だった。

続いて事務所ビルの新築も隣接であった。

大変世話になった奥村さんと日吉町の現場から一緒に移動した。

私は掛け持ち、行くのはたいてい夜だった。

筒井君、後から大谷君と若い二人も加わった。

仕事を終えるのは毎晩遅い時間であった。

メシも食わずによく仕事をした。

 

そして終わってから酒を飲みに行く、皆マイカーでだ。

四条に車を止め酒を飲みメシを食い、それから祇園でまた飲んで皆マイカーで帰った。

 

次の日の朝礼に遅れるヤツはいなかった。

 

京都での現場での事務は頭より使うのは体力ばかりだった。

 

考えればこの間ずっと合気道の稽古をしてない。

ホテルの増築期間に奥村さんに頼んで1時間だけ抜けさせてもらい近くにあったフルコンタクトの空手の道場に通うことにした。

筋がいいとほめられて、3日目で黒帯とスパーリングさせられ肋骨を骨折してやめてしまった。

骨折が無ければ今頃空手をやっていたかも知れない。

 

懐かしい現場で仕事をしていた頃の話である。

今とは違い、忙しさにギスギス感は無く辞めたいと思うことはなかった。

がむしゃらに前に進んでもそれを見てくれる人が必ずいた。

これが私の京都での第一期である。

いろいろあって営業部へ移り、再び京都に戻る。

 

明日以降にします。