スタンディングみや(でした。)

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兼題『重陽』

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重陽』ってご存知でしたか?

五節句の一つで、9月9日のこと。 旧暦ですから、ちょうど今頃です。

菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれます。

陰陽思想では奇数は陽の数で、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれます。

古人が酒を飲む理由に作ったもの、ではないようですよ。

 

夏は終わりを告げ、何を始めるにもよく、何をしないのもよい。

そんな季節ですね。

今日も俳句投稿サイトのお便りコーナーの日、最近いつも最後に載せてもらう文書です。

本番の俳句の発表は明日から、また『並』に入れば良しとします。

 

 

兼題『重陽

俳句を嗜む人間でひょっとして私だけじゃなかろうかと、嫌悪感と落ち込みを感じさせた今回の兼題『重陽』であった。

知らぬ言葉ではないのだが、今までこの言葉を使ったことがなかったかも知れない。

この日に合わせて菊湯に入ったり菊枕で眠ったことも無く、菊酒でさえ口にしたことは無かった。

『花より団子』の宮島家は父母ともに元気に働く家庭であったのは間違いなかった。

しかし思い起こせば秋のことだった、母は家に野菊の花を活けた。

こんな花瓶があったんだと子供心にも思うきれいな花瓶に仕事の帰り道で摘んできた野菊を活けたのである。

母も女、花が嫌いなわけはない。

兄の世話と仕事で追いまくられての毎日でも、女を忘れたことは無かったのであろう。

病院勤めの帰り道、目についた野菊を持って帰ろうと思ったのは誰のためだったのだろう。

兄と私のためではない。

私たちはそんな二人ではない。

自分のため、ひょっとして父のためだったと思いたい。

晩年体調を崩した二人は私が帰るといつも喧嘩口調で話しをしていた。

認知症、ガン、人の身体を蝕むばかりか心まで変えてしまう。

でもあったはずだ。

父が母に向かって 『野菊のような人だ』と言った時間が。

それを言った父は七年前に他界して、母は今枯れかかった野菊となっている。

私の想像ではあるがそんな時間が、そんな日があったに違いない。

私は重陽をそんな日と思いたい。