家にいる時間
コロナの話題ばかりである。
首都東京での感染者がどんどん増えている。
東京を知る人間でなんとなくこんな展開を頭に描いていた人は多いのではないだろうか。
しかし、すべては対岸の火事である。
その火の粉が春風に乗ってやって来て初めて真剣になるのであろう。
『不要不急』でない限り外出は控えて下さい。
生まれて初めてこんな経験をしている人の方が多いだろう。
私だって初めてのことである。
しかし、世界のどこかであるように、蛮国に占領されて怯えたままの生活がいつまで続くのか分からないのとは違う。
いずれ終息を迎えるであろう。
最悪の事態を回避するために、感染拡大を防ぐためにしばらく辛抱しよう、それだけである。
生きるために生活のために外に出ていくのは仕方ない。
前を通った保育園にはいつもより少なめであるが園児たちが元気に遊んでいた。
不安の中、子供を預けてお母さん達は仕事に行っているのであろう。
まだ『仕事をするな』とまで言われているわけではない。
協力出来るところはしなくては、と思う。
時々、期限ギリギリとなる仕事を請けてしまう。
二日二晩『不眠不休』でパソコンに向かい、気を失うようにベッドに倒れていると付けっ放しのラジオからの『不要不急』という言葉で目が覚めた。
眠りの底から現実に戻り、頭を回した。
子どもだったら何をしていたかなぁ、と。
たぶん嬉しくずっと家でゴロゴロしながら好きな本を読み、テレビで映画の再放送などがあれば真剣に見入っていたに違いない。
学年の切り替わりの子どもたちに学校は面白くない課題を与えているのかどうかは知らないが、あっても少ないのではなかろうか。
自由に使える時間が多いはずである。
私であればただダラダラと使うに違いない。
でもそんな時間も長い人生に不要ではない。
千載一遇のチャンスとして、家でボーッとする時間であってもいいと思う。
BSの黒澤明監督の『羅生門』を横目でみながらそんな事を考えて家を出てきた。