今日一日の終わりに
これまでの日常生活の無駄な部分がどんどん削ぎ落とされていく。
『三密』と『不要不急』、『八割削減』が無駄を削ぎ落としていく。
無駄を無くしてシンプルな生活に慣れるのは良いかも知れないが、どんな日常となっても無駄は必要だと思う。
心のゆとりにつながるような誰にも迷惑をかけない無駄は残したい。
見る人によっては全く無駄と思われる時間の中から多くの仕事が生まれてきた。
酒を飲みながら会社の愚痴を聞き、家庭の話を聞くようになり、仕事の発注に結びつけるような古くさい営業をやっていた。
信頼関係の中から仕事は生まれる。
その信頼関係を作るのに一番なのは仕事を一緒にする事である。
『卵が先か、鶏が先か』のようなその一巡をどうやって始めるのか、それにはやはり無駄が必要なんだと思う。
その無駄を持ってるヤツが面白いヤツだった。
コロナが落ち着く、コロナが浸透して皆が慣れた世の中がどうなるのか誰にも分からない。
でも無駄は残っていて欲しい。
無駄は文化を生むと思う。
本屋をウロウロし、喫茶店で買った本を読む。
映画館にも行きたいし、晩は飲み屋でマカロニサラダでもつつきながら誰かと会話するのもいい。
そんな中から何かが生まれていた。
毎日家にいても平気なのだが、行政の要請に従わないで開店しているパチンコ屋に殺到する人間がいることをニュースで知りこんな事を考えていた。
私はパチンコはやらない。
面白くなかった。
個人の勝手とは思っていたが、この状況で殺到すると聞くとやはり依存症なんだと思う。
開けているP店の問題ばかりではない。
そんなヤツが周りに何人もいた。
大阪のカジノを前倒しして一度足を踏み入れたら最低二週間は出て来れないSF小説に出てくるような退場制限付き娯楽都市を作ってみたらどうだろうか。
と、くだらない事を考えながら今日も一日が過ぎていく。