スタンディングみや(でした。)

大阪で元気にやっています!

My Personal Weblog

オリーブパンをかじりながら

f:id:standingmiya:20200827174932j:image

六十年、 いや六十年近くも生きると少なくない数の人の死に出会ってきた。
そしてその中には自ら命を絶つ奴もいた。
真面目な奴ばかりであった。

でも真面目で今もしぶとく生きている仲間も多い。
何が違うのか考えるが『折り合いを付ける力』じゃないかと思う。
中途半端でもそのままにしておけるおける図々しさやちゃらんぽら んさが少しだけあれば何とか切り抜けたんじゃないかと思う。

私も折り合いを付けることが上手に出来る人間じゃなかったと思う 。
今でも些細なことをいつまでも気にする男である。
しかし重ねた年齢や経験の数からだと思うが、どこまでいい加減にしておいてよいのかがわかってきた。

死んだ仲間たちの年齢では無理であったのだろう。
たぶんあいつ等ももう少し辛抱して生きれば乗り越えれたんじゃな いかと思う。

 

八十を過ぎたゼネコン時代に京都で世話になった不動産屋さんから LINEで自宅の美しい庭の写真が送られてきた。
これから秋の種まきの段取りの準備をしていると添えられていた。
春の花壇を構想することが一番楽しい時間であるとも。
駆け出しの営業マンの私に不動産を教えてくれた大先輩である。
京都のお寺でたくさんの檀家さんを説得して寺と墓地の移設を行うような普通では出来ない事をやって来た先輩である。
怖い方々とも付き合いをしなければいざというときに仕事に支障があると酒も飲めないのに私をそんなお店に連れて行ってくれ「 代わりに呑んでくれ」とおいしい肴と酒を腹いっぱいごちそうになりサバの棒寿司を土産に持たされて帰ったこともある。

その先輩には一人息子がいた。
私より少し年下の気のいい、優しい男だった。
親父の影響はゼロではないであろう、同じ業界に入ってきた。
しかし、悩み辞めて違う世界に入った。
その間話を聞き、酒を飲みにも連れて行った。

折り合いを付けることがしにくい年齢だったんだと思う。

死ねばすべては終わってしまう。

もう二十年近くたつ、親父にはあれから時間が止まっているのかも知れない。

そろそろ茶菓子をぶら下げて顔を見て来ようと思う。

 

テキトーに人生を送っている人間の方が多いと思う。

それでも世の中は十分回るんだという事を知って欲しい。

これからこの複雑難解な世の中を生きていかなければならない若者たちに知って欲しい。