三度の電話
秋晴れの愛知に来ている。
普通に寒い、暑いだけで判断するならば暑いとなるところだが、ここ愛知には秋が訪れているのが分かった。
暑いのだが汗をかくことがない。
乾いた空気は紫外線をそのまま地上に降り注いでいるのだろう。
陽の光は私の肌に突き刺さる。
大阪の不快な暑さは無かった。
亡母の残務整理に来ている。
途中、何度でも携帯が鳴りサービスエリアで受けると母が若い頃世話になった医師の奥さんである。
ダム工事の診療所の医師を務めている時に母が看護師として公私ともに尽力して支えたそうである。
山奥のダム現場で東京育ちの奥さんは大変苦労したそうである。
そんな話を3年ほど前に母のグループホームまで足を運んでくれてしていってくれた。
その後、先生は亡くなっている。
奥さんももう80歳を過ぎて、自身の老を嘆いていた。
コロナで自宅から出ることがなくなり人と会わないとも言っていた。
昨夕、深夜、そして今朝と三度の電話があった。
私が出した母の訃報を告げる手紙がきっかけだったのだが。
誰もが老いとは無縁でないと思った。
上京の折には六本木のご自宅を訪ねてみようと思う。
母に会いに来てくれた恩返しである。
他人事ではない老いの問題を車の中で考え続けた。