スタンディングみや(でした。)

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夜に考えたこと

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人から聞いた話である。

日本からたくさんの中古トラックや建設車両が海外に輸出されている。

日本で活躍を終えた商用車両が海外でなお活躍続けるという頼もしい話である。

 

日本の車の性能はやはり良いようで、中古でも高価格で取引されるそうである。

日本語の看板をそのままで走るバスが東南アジアやアフリカで走る話しを聞くがあれがそうである。

 

いろんな事情で手放すことになった車両が国内での取引より、海外に需要がありしかも高く買ってもらえるならば言うことはない。

海外のバイヤー相手のオークションもあれば日本人の個人投資家もずいぶんいるそうである。

 

国によって交通法規や排ガス規制は当然違う、それに合った車両が流れていく。

部品だけの取引もあるそうである。

 

日本の戦後の高度成長期のような途上国では、即効性もあって双方にとって無駄の無い好ましい事のように思える。

 

日本の商用車両の優秀さに驚き日本に憧れてやって来る若者がいるかも知れない。

その技術を追い越そうと研究に勤しむ若者もいるかも知れない。

中古車両の輸出には案外プラスになる事が多いかも知れない。

 

物流を動かすトラックもインフラ整備を支える建設機器もいずれはAIによって支配される日が来るのであろう。

そうしたらどうなっていくのであろう。

 蒸気機関の発明により産業革命が起こり、ガソリンエンジンに代わり物流にも建設にも人力の百倍、千倍の機械の力が加わった。

高度成長期の過程、すべてを増大させていく過程においてはそこからはみ出してしまう人員はいなかったであろう。

しかし経済が縮小していくなか、すべてにAIは必要ないのではないかと思う。

 

需要のパイは小さくなるのだ。

必要以上の省人力は食えない人間を生み出すだけにしかならないような気がする。

 

皆に仕事がまわり、皆が普通に飯を食い余裕を持って生きることの出来る世界をAIに考えさせる方が良いように思う。