日常と非日常の同時の存在
午前中、仕事を終えて家内と近鉄八尾駅近くまで行った。
用事を済ませて食事。
そしてコーヒーを飲む。
本屋に寄って『暮しの手帖』を久しぶりに手にした。
子どもの頃から眺めていた雑誌だ。
硬い文章は斜め読み、いつも眺めて時間を楽しんだ。
塀の向こうにいた作家、安部譲二が服役中に購読していたのがなんとなくわかる。
そこにあるのは『普通の日常と非日常』なのである。
目まぐるしく変わる世の中を生きるなか、こんな時間がいいのだと思う。
『日常』と『非日常』、この雑誌の中と私の生活、安部譲二の塀の中の生活、どれが『日常』でありどれが『非日常』なのかはわからない。
ギャップがよいのである。
乾いた秋の空気の中、自転車で帰宅する八尾の道端にも曼珠沙華は赤く咲いていた。
こんな普通の日常が明日への活力になると思う。
帰ってベッドの上で『日常』か『非日常』かわからぬ『暮しの手帖』を広げた。
まだ片付かぬ部屋の『日常』を横目に知らないうちに『非日常』の夢の世界に入っていった。