家族を見て思う認知症と障害
さて、二泊三日での愛知・静岡の旅から帰って来ました。
疲れ切った頭で、家内の気遣いで誘われるまま中華屋へ直行です。
レバニラと餃子。
いつもこれだけかと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、餃子は肉に野菜、そして炭水化物の皮に包まれた完成された逸品です。
レバニラにはビタミン、鉄分が豊富に含まれ身体の疲れを癒すには最適です。
かと言って胃袋に収まったらすぐに元気になるかと言ったらそうではありません。
気持ちの問題ですね。
高校時代中華のコックを目指していた私にはこの二品が中華料理の最強です。
そして、疲れた頭で考えました。
障害者でも健常者でも歳を重ねて認知症になれば同じではないかと。
介護保険法と障害者の法律の中には明確な定義があり区分があるのでしょうが行き着く先はあまり変わらないような気がします。
認知症にも障害にもいろんなタイプがあります。
より良く生きていってもらうために介護やら支援があります。
でも、最後は『食べる・寝る・出す』です。
それを苦痛無く行えるようにする。
それだけだと思います。
生きてきた過程は違えども、最後は同じになっていく、ならば人間として生まれてきて公平のような気もします。
障害を望んで身に付ける人間はいないでしょう。
認知症も同じでしょう。
最後は皆で仲良く生きる時間があってもいいと思います。
なんだかおかしな事を書いてあるような気もしますが、母と兄を見てきて思う実際です。