落ち葉を踏み考える
春は新緑で私たちの目を楽しませてくれ、夏は強く熱い陽射しから私たちを守ってくれた。
ほんのわずかな間、葉の色を変えて私たちに別れを惜しむようであった。
この道は家に続く道、何も考えず目をつむったままでも歩けそうな道であるが、今日はこの木の枯葉はどこに行くのかと考えながら歩いていた。
人の手で片付けられて清掃工場に運ばれてしまう枯葉もあるだろうが、風に舞い、車に轢かれて多少は形が変わって川に、下水に流れ込む枯葉もあるかもかも知れない。
運のいい葉はわずかな土の上に堆積し微生物に食われて土に帰り、川や海の底に堆積して自然に帰っていくものもあるのだろう。
それが本来の姿であろう。
私が知らなかっただけなのだろうが、化学繊維から流れ出るマイクロプラスチックが問題になっているようである。
その化学繊維の中でもフリースが一番の悪者のようである。
安価で洗濯の出来る便利なフリースはある時期から持たない人がいないほど普及している。
誰にもなくてはならない必需品となっている。
どれくらいの環境への悪影響があるのか知らないが、元に戻すことが非常に困難な事は容易に想像出来る。
持続可能性などと世界を上げて叫ぶ今だから責任ある大手メーカーが黙ってほかっている事はないだろう。
と、思うのは甘い私ばかりなのである。
世の中はそんな甘いものではない。
どこもかしこも我が社の利益に固執する。
だからこれが一番なんだと考えておけば世の中の動きを読んでいくのに間違いない。
あまりに簡単過ぎて面白くなく、かと言ってどうにも出来ないのが現実なのである。
可能ならばそんな現実を目の当たりにして反面教師として考えて自身の身の振り方を考えておくのがいい。
自分の事をまずは考える。
それが一番だと思う。
自身が安泰でなければ、他人の事なんか考える事は出来ないのだから。
悲しいが、逆らえない現実がある事を知るべきでもある。
そして無駄と知りつつも、少しでも自身の思いや理想に向かい、抗がうことも男として人間として一度くらいは経験してもいいと思う。
私個人の考えですが。