兼題『鮫』
『環世界』ってご存知でしょうか。
人間は自身の持つ五感を当然のものとして自身を中心に物事を知覚して考え、自分達の価値観で周りの世界を決めつけようとします。
しかし、地球上の生物で五感や第六感まで駆使して活動しているものばかりではないのです。
動物や昆虫達をよく見ていると私達のそれとは違うことを感じる事が出来るかも知れません。
それぞれの持てる知覚のみでの主観的な世界が『環世界』です。
そしてそれは実は人間の中ででも同じなんだと気づけるかも知れません。
障害を個性だと呼びお茶をにごす人もいますが立場が変われば障害は健常と入れ替わるかも知れません。
いつもの俳句投稿サイトでは本当はそんな事を考えながらこの文章を書きました。
◆今週のオススメ「小随筆」
お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪
●鮫に生まれたくてこの世に出て来た鮫は一匹もいないだろう。
今年六十となった私は、まさか大阪の人間になるなんて思ってみたこともなかった。
それと同じかは分からないが、鮫を見てそんなことを考えたことがある。
息子がまだ小学生の頃、海遊館に連れて行った。
幼い息子はたくさんの色とりどりの初めて見る魚を目の前にして純粋に喜んでいた。
海遊館の呼び物であるバカでかい水槽に入れられたコレまたバカでかいジンベイザメを見た瞬間は私も正直驚いた。
でもすぐに悠々と泳ぐという表現が正しいのかいささか疑問が湧いてきた。
ここに連れてこられるまでは広い広い大海原、南の海で海流に乗りゆったり移動してあの大口でプランクトンを食べていたんだろう。
日がな一日のんびりふわふわと。
それこそ悠々と見えたに違いない。
それが狭いガラスの箱に閉じ込められたくさんの人間のための見せ物になってしまった。
お世辞にも幸せそうには見えない。
幸せを奪った人間は自分の事しか考えない。
水族館も動物園もすべて人間の都合ばかりだ。
鮫、ある時は海のギャングと呼ばれ、そしてある時は愛称まで付けてかわいがられたりする。
鮫はそんな身勝手な人間に生まれて来なくて良かったとも思っているに違いない。
それでも、私は鮫として生まれたくてこの世に出て来た鮫は一匹もいないだろうと確信する。
鮫にも人間にも生まれてきたくなかったと思っているに違いないと強く確信する。/宮島ひでき