スタンディングみや(でした。)

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寒い日の缶コーヒー

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高校を卒業して魚市場で働いていたあの時の冬な寒さは格別だった。

今より気温は低かったように思う。

加えて水仕事が中心の魚の扱いである。

手は赤く腫れ、切れて、塩水がしみて痛かった。

 

そんな寒い朝、いつも黙って私のジャンパーのポケットに熱い缶コーヒーを入れていってくれるお客さんがいた。

19歳の私の父親くらいの年齢の仲買の大将だった。

口を開くことなく黙々と働く私を『訳あり』の青年と思ってずっと見てくれていたと、後になって働き先の女将さんから聞いた。

 

当時の缶コーヒーが一本いくらか覚えていないが数十円の缶コーヒーは私の手やポケットばかりでなく、心まで温かくしてくれた。

毎日のただそれだけの瞬間の出来事でその大将との人間関係は出来上がった。

 

出会う人間双方で感染の可能性を認識し、幾分の恐怖も感じながら新しい人間関係を作り上げるのは難しい。

 

この新型コロナウィルスで新しく動き出したものもあるだろうが、減速した中には目に見えないものもあるのではないだろうか。

 

駅で見かけた視覚障害者の方に声をかけそびれた。

ひょっとしたら、先方が望まないかも知れない、と勝手に決めてしまったのだが後味が悪い。

 

なにが正解か分からない。

自身のことは自分で判断するがこんな損得に関わらないことの判断は難しい。

 

ひょっとしたらどこかの協会みたいなところでこそっと指導要領みたいなのを作っているかも知れない。

しかしながら周知されなければ無きも同じことである。

 

次は小声で本人に聞き、本人の意思があれば行動しようと思う。

声をかけるくらいで嫌がられることはないだろう、という前提のもとに。

 

視覚障害者の方を見かけて昔飲んだ缶コーヒーを思い出していた。