たぶん人生における最大に近い失敗
八月に母が他界した。
ニューコロナで様変わりした生活のなか、葬儀は本当の密葬で執り行った。
生まれて初めてのなんとも寂しい葬儀だったが、世話になったグループホームの職員の皆さんだけがそっと焼香に来てくれた。
大阪愛知の行き来をトンボ返りで繰り返すことが続いていた。
連絡を受け、深夜亡くなった母のもとへ車で走った。
クタクタの通夜、葬儀だった。
しかしながら、どんなに疲れていようとも言い訳にはならない事はいくらでもある。
この葬儀の準備中にすでに失敗をおかしていたのだ。
わかったのはずっと後、五ヶ月も過ぎてからである。
年が明け、正月を迎え餅にも飽きてきた頃であった。
母に届いた年賀状がグループホームから転送されてきた。
その文面に『あっ、』であった。
『叔母さんの元気な顔を見に行くね』とあった。
母方の従姉妹の一人に連絡してなかったのである。
いつもはもう一人の従姉妹とともに母の見舞いにも来てくれた。片方に連絡すれば両方に通じていた。
しかしその従姉妹は二年前に急逝している。
心身ともに疲労困憊していながらなんとなくおかしさは感じていた。
何を言っても言い訳にはならない。
電話で連絡し、謝まった。
特殊な事情もあり理解はしてもらったもののなんとも情け無い悲しい出来事であった。
高校を卒業して母が世話をして看護師となり、今も現職の従姉妹である。
母に対する思いは特別だったようである。
本当に申し訳ありません。
それから花が届きました。
たくさんの花が届きました。
家内に母の仏前に供えてもらいました。
写真の笑っている母はいつものように「仕方がない子だね」と許してくれているようです。
みなさんもこの初めての経験のコロナ禍のもと、私のような失敗はなさらないでください。
たぶん、そんな人はいないでしょうが、、