スタンディングみや(でした。)

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空に舞う凧の先にあるもの

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青く晴れた空、良い天気の冬の一日である。

少し吹く風は寒さを感じさせるが、同時に子供の頃やった凧揚げを思い出させる。

 

この時期であった。

父の勤める会社の社宅には同年代の仲間が何人かいた。毎日何かをして遊ぶのだが、この時期の凧揚げが楽しかった。

 

近くの駄菓子屋で竹のフレームに貼り付けられた紙の凧である。駄菓子屋に並ぶ凧は昔ながらの絵柄が多かったように記憶する。個人的に奴凧が一番安定して遠くまで上がったと思う。

一日20円と決められていた小遣いを数日我慢して使わずに駄菓子屋に走った。

奴凧と凧糸を買う。そして社宅の屋上に向かうのである。

仲間が何人かすでに上空で凧を舞わしている。

誰だったか思い出せないが、上手いやつがいた。

我々の凧は伸び切った先の凧が墜落したり、凧糸が途中で切れたりしてお終いとなる。

そして手元の凧糸を持ってその男に託すのである。繋いだ分さらに遠くまで凧は泳いだ。

 

そのうち私たちは凧糸の重さが凧の舞いに影響する事に気づいた。

次の回では申し合わせて全員自宅の母親の裁縫箱から木綿糸を持ち寄った。

繋ぎ合わせた木綿糸の先の凧は今まで一番遠くまで行った。

夕陽に溶け入るかと思うほどまで凧は泳いだのである。

 

それからである。そこまで距離を伸ばした凧の処理に皆困ったのである。

晩飯の時間も迫り、延々と伸ばした木綿糸を巻き戻すような面倒くさい事は誰もしたく無い。

そのまま手を離して『サヨナラ』した。

 

今考えれば誰かに迷惑をかけたかもしれない。

子どものした事ゆえご勘弁くださいとしか言いようは無い。

あとで十分母親から全員叱られてますから。

 

おおらかな時代でした。

遊ぶ道具も金も無く、皆で考えて遊んでいたあの頃の子どもたちの方が想像力は豊かだったのではないでしょうか。

 

子どもの頃からその気になれば調べる事のできないことは無く、環境さえ整えばどこまでも走ることの可能な時代となっています。

 

決して悪いこととは思いませんが、その年代で感じなければならない事、やらねばならない事を飛び越えてしまう事にはなんとなく違和感と危惧を感じてしまうのは私だけでしょうか。

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