ネコの日の今日
今日は『猫の日』だそうである。
朝から家内にそんなふうに聞く。
語呂合わせなんかで、毎日が記念日だ。
それで経済活動が活発になり、家でじっとしているお年寄りが外出したり良い事も少なからずあるのだろう。
父が他界した六年ほど前から我が家は毎日猫の日となった。
飼い主のいなくなった二匹のネコを引き取った。
愛知ではずっと家、外を行き来できる自由ネコであったが大阪では外での事故を考えて家ネコとなってもらった。
狭い家の中では不自由かとも思ったが、年齢もあってか慣れてくれた。
ネコのかわいさは何と言ってもその『自由さ』にあるのだが。
私はずっとネコとの仲は『お互い空気の感じ』を保ってきた。
しかし昨年、茶トラ白の『トラ』が逝ってしまってから、三毛猫の『ブウニャン』は家内のそばを離れることが無くなった。
高齢のため、月に二度の病院通いも恒例となり、毎日嫌がる薬を飲ませても家内のそばを離れない。
考えればネコの看取りをしたのはトラの時が初めてだった。
実家にいる時のネコ達はいつしかいなくなった。
死期を悟ってどこかに行ったのか、ボケて帰れなくなったのかは分からない。
それが自由ネコと家ネコの大きな違いだと思う。
いつも思う。
ネコばかりか、犬でも人でも同じである。
血のつながりの有無は関係無く、関わったら責任がある。
それが最近では人間同士の方が希薄で、ネコや犬たちとの方が密のような気がする。
私だけであろうか、こんな事を思うのは、
新型コロナは関係無いと思う。
ありし日の『トラ』
ばあちゃん『ブウニャン』