スタンディングみや(でした。)

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兼題は『春の夕焼け』だった

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遅くに帰り、一人パソコンに向かい『俳句ポスト365』 の発表の週であることを思い出した。
お便りコーナーをみて「あぁ、」と声が出た。

 

もともと俳句のたしなみは無く、ねずみ男こと寝たきり親父先輩に誘われて始めたのだ。
いまだに先輩方の言葉に逆らうことは出来ない。


この先輩にはずいぶん世話になり義理がある、 10年も前に脳梗塞で寝たきりとなり動く指だけで器用にipad を扱い私に指示を飛ばしてくる。
企業戦士として闘い癒えることのない傷を負った。
出来る限り、手足となろうと思っている。


二週間に一度の投稿であるがいつも締切り当日の締切り一時間くら い前から俳句とこの文章を考える。
夜中はダメである、暗い文章となり、俳句はもちろんいつも『並』 の最後らへんで見つける。

 

まだ冷たい春の夕焼けはきれいだ。
その時の感情とみた風景はいつまでも結び付いている。
ただ、それだけを書きたかったのであるが、、

 

◆今週のオススメ「小随筆」というよりは、超短い随筆の味わい。 人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪

春は新しいことが始まる。それは何かが終わったことを意味する。

八年前、 父が死に母はグループホームへの入所が決まり兄の居場所は無くな った。
重度のてんかんを持つ肢体不自由の兄の入所を許してくれる施設は 無かった。
絶望のなか毎日市役所に通った。 市民のためへという掛け声は絵空事で私が「 介護休職期間が切れればここで首を括ります」 と言うまで真剣に動く役人はいなかった。 それからしばらくして来た連絡で隣の隣の市の施設で受け入れてく れると言う。
翌日一人で行ってみた。 子どもの頃よく自転車で来た土地に施設はあった。
地平線と海の見える小高い山の麓に施設はあった。 その時の景色だけでここで良かろうと私は決めた。

その日のうちに隣県で入院していた兄に話をしに行った。 施設案内を見せると兄は「僕はここに死ぬまでいるんだな」 と言った。泣きながら私は首を縦に振り、 兄の入所は決まったのである。
 愛知県で一番南の町、温暖な気候、 美しい海に囲まれた風光明媚な土地、 老後を過ごすのにはもってこいの場所である。
しかし兄の老後にはまだ時間がある。

入所は早春だった。
兄なりに無理矢理納得したのであろう。
妙に言葉数の少ない兄との別れは早春のこの時期だったのである。
別れのタイミングが分からずグズグズしていると夕食の時間となっ てしまった。食堂まで兄の車椅子を押してそこで別れを告げた。

気がつけば施設の周りは菜の花の黄色で覆われており、 夕陽でオレンジ色に輝いていた。早春の朝夕はまだ冷える、 夕陽に染まる菜の花畑を横目で見ながら私はジャンバーのファスナ ーを首まで上げて駅まで急いだ。
それまで見てきた私の原風景のような春の夕焼けは全て消え去り、 今これだけが記憶に残る。
菜の花畑に夕陽は落ちかけ霞む夕陽は私に向かって何か言いたげで あった。

これが今肌寒さとともに私の心に刻み込まれた『春の夕焼け』 の原風景となっている。/宮島ひでき