年のはじめに考える
また一年が始まります。
昨年は新型コロナウィルスで誰もが大変を強いられ、我慢の一年だったのかも知れません。
でも、悪い事ばかりでなくこのニューコロナ禍の中で新しいことを見つけたりも出来たのではないでしょうか。
私は認知症の母のもとへ十年近く通い続けました。
もうダメだと、医者に宣告された三年前には毎週帰る時期もありました。
無理を感じながらもその時は介護の波に呑み込まれて客観視出来ない私となっていました。
たくさんの時間とたくさんの金を使い。
健全な母がもう一人いれば「何をやってるの」と頭を叩かれたことでしょう。
新型コロナの感染下、母への面会は制限され半年の間、死の直前まで三回しか愛知には戻りませんでした。
それで変わった事は何もありませんでした。
母にも誰にも叱られることはありませんでした。
渦中で訳のわからなくなった自分がいた事だけが分かりました。
気づかせてくれたのはニューコロナでした。
100%力を出さなくとも潰れる会社はありません。
仮にあるならばすでに問題ある会社です。
生産年齢人口の全てが生産せずとも日本は成り立っています。
だから少しは気楽になってもいいんだと思います。
生涯の中で一度二度死ぬ気で頑張る時期や頑張って来た時期があればなんとかなるような気がします。
年のはじめに後ろ向きな事を考えているわけではありません。
人口が減る、労働力が減る日本が以前のように世界のトップに立ち続けようとする無理はせず、身の丈に合った努力をして行くことが大切になっていくと思います。
努力は必要です。
でも継続出来ない努力では良い結果は出せません。
どこでどう努力するか、集中する先を決めて残りの時間は家族や自身のために使うべきでしょう。
可能ならば無駄や自分の利益にならない事も出来たらいいように思います。
趣味やボランティアは自身の心の栄養となります。
無駄の無い努力とそこから生まれた余力で育てた豊かな心がこの先を乗り越えるために必要な気がします。