雨 の検索結果:
…いる人であった。 梅雨の時期、京都特有の蒸し暑さが増してくる頃に不思議な経験をさせてもらった事を以前ここに書いているので読んでない方は参照いただきたい。 『ホタルの思い出』 https://standingmiya.hatenablog.com/entry/2018/06/19/224242 いろんな方に紹介してもらったが、一番印象に残るのは役所の現役の部長だった。 その方とはOBとなった今も付き合いさせていただいている。 ある夕方、外回りを終えて私が営業所に戻るとお客さんが…
久しぶりの雨らしい雨が乾いた空気でいがいがしていた私の喉を潤してくれる。 この時期電車の中で咳をするだけでも気をつかってしまう。 気のせいか電車の中で以前のように咳やクシャミをする人間が減ったような気がするのは私だけだろうか。 サラリーマン時代の雨の終電での帰りは寂しいものであった。 終電の時間を早くするのは理解出来るが困る人もいるんだろうなぁ、と思う。 学生時代いろんなアルバイトをした。 終電で築地に向かい、朝まで青果市場の卸会社で働いた事がある。 帰宅するサラリーマンと逆…
…吹けば大風、降れば大雨に加えて大雪に吹雪である。 地域によってこれだけ違いのある日本を広いなぁなどと呑気なことを言っていたら叱られてしまいそうだ。 しかし、どうしてこれだけ皆分散して住んでいるのだろう。 どんな山奥にも、離島にでも人は住んでいる。 まずはもともと住んで来た土地、先祖伝来の土地ということが一番の理由で、次は実家を離れ赴任した先に定住するということが多いのかも知れない。 時々聞くことはあるが、個人の好みで移住したというのはまだまだ少ないのではないだろうか。 社会人…
昨日、久しぶりの雨が降っていた。 喉の弱い私には丁度良いお湿りとなった。 旬が分からなくなりつつあるこの時代でもこのちぢみほうれん草は寒いこの時期だけスーパーで並ぶ。 美味いが下ごしらえが面倒でなかなか手が伸びない。 しかし、寒さに耐えて近所のスーパーまでやって来てくれたコイツにあえて手を出した。 買った時にはソテーくらいにしようかと思っていた。 濃い味のほうれん草、甘くてアクが無い。 たまたまテレビでパスタを目にして用途変更を決めた。 みな、ここで二の足を踏む、洗うのが面倒…
…寒さの後、久しぶりの雨。 よいお湿りとなって喉の調子が良い。 家内と午後のコーヒータイムである。 急にゼネコンでの営業時代を思い出していた。 四半期に一度営業所別での戦略会議があった。 ひな壇には営業所長、担当者がずらりと並ばさせられる。 そして支店長、副支店長、各部門長からの詰問責めとなる。 営業所員は皆、戦々恐々としていた。 営業の進捗度合いは嘘をつこうともその道のプロには筒抜けてしまう。 今とは時代の差もあるのだろうが、怒鳴りつける場面もあり30歳の私はいろいろ妄想しな…
…たことは案外自身がすべきことと最初から決まっていたことかも知れない。 たまにはそれくらい自分を追い詰めることも必要かも知れない。 その度に自身のキャパシティは大きくなる。 間違い無く。 そんな悩みを持てる自分が幸せだと思うことも自身を楽にさせる方法だとも考えたらいいかも知れない。 兄貴を含めてそんな悩みを持てたとしてもどう処理してもいいか分からない人が世の中にはたくさんいることを私は知っているから。 秋の長雨は冬への誘い、短い秋は終わりに近づき寒い冬がもうそこで待っています。
…晴天とまではいかぬが雨の心配の要らぬ天気であった。 仕事を終えて稽古に行った。 阿部野道場で稽古を終えて、そのあと上部組織である武育会の稽古会に久しぶりに行った。 ニューコロナのこともあって稽古会の数も少なかったこともあるが、本当に久しぶりの稽古であり、久しぶりの仲間たちとの稽古であった。 しっかり汗をかき、用事を済ませて帰路に着いた。 途中、天王寺で晩メシを済ませた。 ギョーザを食い、ニラレバを食い、美味いビールを飲んだ。 秋の訪れかと思いきや明日からまたしばらく気温の高い…
…はいませんでした。 雨上がりの朝、水たまりで遊びながら登校したものです。 風雨の強い朝に原っぱの草が風でなぎ倒され、雨に濡れていたのを記憶しています。 そんな時の風が『野分』なんですね。 取り上げてもらった私の文章です。 ◆今週のオススメ「小随筆」 お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、 お人柄が見えてくる~♪ ●高校の授業で、漢文と古文が好きであった。 漢文では唐詩が好きで、岩波文庫の『唐詩選』 をいつも持ち歩いていた。 杜甫の『春望』、 国破山河在城春…
最近の降れば大雨、吹けば大風、自然災害とは言えどもこの国はいつからこんなに異常な気象を受け入れなければならなくなってしまったのかと思う。 先日の大雨の復旧もままならないであろう九州地方への台風10号の進撃は泣きっ面に蜂である。 嫌でも関係してしまう方々には言葉も出ない。 台風が来るといつもゼネコン時代の現場での仕事を思い出す。 京都の南部の京田辺市、当時は綴喜郡田辺町に上場電機メーカーの社員研修施設を建設した。 当時いらっしゃった、その時すでにOB採用されていた高齢の営業マン…
梅雨明けとともに本格的な暑さがやって来た。 学校から帰宅する小学生たちとすれ違い駅に向かう。 本来ならば夏休みの最中であろうに可愛そうでもある。 先に長い休みを取ったんだから、と大人たちは言うであろうが子供たちにとってはそれはそれ、これはこれであろう。 新型コロナの被害者でもある子供たちに学校に行かない、行けない時期があった事は良い事も悪い事もあるに違いない。 人間関係に苦しみ辛さを感じていた子供たちにはストレスが無くなり良かったことであろう。 今と時代は違うが、私にも学校に…
…ていくしか無いですよね。 戦災や天災を乗り越えて来た我々です。 まずは出来ることから、マスク、うがい、手洗い、三密回避。 暑いのを我慢してマスク着用で稽古に出かけます。 今月最後の稽古、そしてしばらく夏休みに入ります。 いつまで続く夏休みか、私には分かりませんが、世の中の動きに合わせます。 自分の都合で動く世の中では無いことは百も承知です。 努力は必要ですが、流れる水に逆らわないことも時には必要でしょう。 雨上がりの通天閣は澄んだ大阪の空気の中、いつもよりきれいに見えました。
…ためにも潮時だったんだと思うようにしている。 ビニール傘には自転車に乗るからという理由もある。 ビニール傘のためではないが自転車に乗らなくてもいい環境作りを今考えている。 ついでに自動車にも。 雨の中、傘をさして歩くのは子どもの頃から好きであった。 ある時期からは下駄を履いて。 しばらく使ってない昭和時代の黒い傘をそろそろ出そうかと思っている。 下駄も引っ張り出して、雨の日の散歩を楽しんでみようかと思う。 違う視線でいつも見ているものを見てまたいろんなことを考えようかと思う。
学生時代のこと、雨が降ろうが、槍が降ろうが、二日酔いでも授業はサボっても合気道の稽古は休まなかった。 サラリーマン時代のこと、台風が来ようが、地震が来ようが、二日酔いでも会社を休むことは無かった。 基本的に責任感の強い人間だと自分のことを思っている。 学生時代は先輩が恐くて稽古を休まなかったが、立場になれば責任感だった。 仕事ももちろん責任感であった。 今日は休みだった。 雨の中、重たい身体を引きずって天王寺まで出て来た。 まだまだ先を見通すことと出来ないコロナ下で今月から稽…
しかしよく降るこの雨である。 たまたま私の近くに人吉市の方がいた。 見慣れた風景が濁流に呑まれてなすすべもない。 テレビの前で涙するしかなかった、とおっしゃっていた。 今起きている事をリアルタイムにそのまま報道する事は間違っていることではないだろうとは思うが、このスマートホンでも目に出来るそのまま伝わるリアルは私にはキツ過ぎる。 学生時代の一時期、ベトナム戦争に飛び込んでいった作家やカメラマンの手記や写真集を好んで手にした。 まだパソコンなど登場する前である。 そこには文章の…
明け方雨の強い降りに目を覚ました。 恐ろしいほどの雨風だった。 そして最近すぐ気になるのはJRの運行である。 JR西日本はそれくらいよく動かなくなる。 しばらくしてから調べると案の定大和路線は夜9時まで復旧の見込みは立たないとなっていた。 いつもは大和川増水による氾濫のおそれとか、架線事故、人身事故が理由である。 どうしてそんなにかかるんだと、何となく納得いかない理由が多いのだが、今回の理由は柏原市役所での工事足場が線路内に崩れ込んでいるようである。 想定外の強風であったのだ…
降らねば困る雨ではあるが、降れば大雨の昨今の天気には誰もが困惑しているのではないだろうか。 宇宙から見たら小さな地球の中で絶対量の決まった水分が、ある時は海であり、ある時は大地に染み込み、ある時は雨にもなる。 私にはよく分からないがその均衡が壊れてしまったような最近の水害を見ていて思う。 足し算と引き算が上手くゼロになっていたのがそうでなくなってしまっているのかと。 地球温暖化の一言で片付けてしまうか、永い地球の時間の中でのほんの少しの誤差だけなのかも知れない。 でも降らない…
…好天から一転しての梅雨空、しかもまとまった雨が夜に降るようです。 今日から当合気道阿部野道場も稽古を再開します。 会員さんの動きを伺っていると皆さんそれぞれです。 東京では再び感染者が増えているようですね。 経済活動との兼ね合いと知事選も絡んでなんだか誰かの都合なのか難しい判断がなされているようですね。 さぁ、大阪の行方を知る者は誰もいません。 とりあえず自己責任で出て来る会員さんと稽古を始めます。 普段出来ないような、私の知る合気道の本質に迫った稽古をやるつもりです。 端部…
…り目を通して明日は最低限の会話で済ませたいと思ってます。 初めての事を行うには勇気が必要です。 一度やってみれば次からは平気になります。 年寄りの図々しさはこの平気さなのかも知れません。 しかしながら今回の乗っ取りはそれ以前の問題でした。 二度と同じ轍を踏む事の無いであろう経験でした。 明日はまた梅雨空が戻るそうです。 傘を持ちウロウロします。 これも苦手なのですが、仕舞い梅雨を楽しみ面白い仕事になるように組み立てを考えます。 どうせやるならば何でも楽しくやりたいですからね。
梅雨寒の夕、食事まで本を読んでいる。 私だけに限るのかも知れないが、夏場の読書量は減るように思う。 持ち歩いて外で読まなくなるからである。 夏の多湿の中紙の本はどうもベタつく。 その中でページをめくるのが好きではない。 書店でかけてもらうカバーを大切にするのだが、ジーパンのポケットに入れておくと紙のカバーがふやけてくる。 以前はこの頃読むのは早川書房のSF、ミステリーと決めていた。 この新書にはビニールのカバーがかかっている。 出版社のどんな意図があるのか知らないが、このタイ…
…る~♪ ●若い頃には雨に濡れることなどなんとも思わなかった。カッパも着ずに働く男たちが格好良いとさえ思っていた。当時の私は人生の混迷期の真っただ中におり、中学・高校時代の友人には誰とも会わずに一人生きていく道を模索していた。二十歳を迎えるのに仕事をしていないのが嫌であった。食うためではなく自身の見栄のために仕事を探した。見つけた魚市場の仲買は暖かな一家で家内制手工業のような経営をしており、ひねくれた私を家族のように迎え入れてくれた。働くならば肉体労働と決めていた私だったが魚市…
爽やかな一日だった。 久しぶりの遠出をした。 何度か訪れたことのある当麻寺。 他に人はいない。 時間は止まってしまったかのようである。 明日からは梅雨空に戻るという。 誰もが願うように、このまま普通の生活に戻れたらいい。 こんな場所でいつまでも時を過ごしたいが、しばらく出ていない雑踏に、 夜の街に、そろそろ戻ろうと思う。
…の乾いた晴れの日は梅雨に入ったばかりだが、中休みと言うのだろうか。 暑いが頬にあたる乾いた風が心地よい。 この時期、どこにでも目にするアジサイの花。 実は、アジサイの花が好きではない。 きれいだと思えるのはほんのひと時、その後が良くない。 散るのが当たり前なのはどんな花でも同じだが、このアジサイが一番後味の悪い花のような気がする。 ほんの少し前に咲いた桜とあまりに違う往生際の悪さである。 今年の桜はいつものように目にすることは無かった。 コロナのために寂しく散っていったのだろ…
…をする機会がある。 雨が降ろうが風が吹こうが物流を止めるわけにはいかない。 災害復旧で活躍するのはトラックであり、今回のコロナ騒動でも生活必需品の輸送は止まることはなかった。 止めることは出来なかった。 そこは3Kの世界である。 新型コロナの感染の危険も加わり4Kの中を荷を滞らさせること無く働き続けてくれた。 なんだか新しいテレビの画像の世界のようである。 このトラック運送業のほとんどが中小、零細企業、個人業者である。 我々が名前を知る大手運送会社は全体事業数のほんの数パーセ…
近畿地方が今日梅雨入りしたそうである。 今日も蒸し暑い一日であった。 これからしばらくは仕方あるまい。 ハンカチ、タオルを複数ポケットやカバンに入れて過ごすしかない。 何度過ごしても慣れることのない嫌な季節であるが、四季の中の一アイテムであり無くては困る方もたくさんいる。 実は雨の日に家にいるのが好きである。 高校一年で一度だけズル休みをした事がある。 あの日も雨だった。 父も母も仕事でいない、兄は入院していた。 一日部屋で本を読んでいた。 湿気を含んだページは普段より重かっ…
…あった。 そのうち梅雨入りとなる、それまでの数少ない貴重な一日だったのかも知れない。 今年の夏は暑くなると気象庁が発表していた。 夏の電力供給に制限をかけなくとも大丈夫だと関西電力が発表していた。 夏場のマスクは暑くて気持ちが悪い、爽やかなマスクがいろいろ出るようだが暑いものは暑い。 電車は窓を開けて運行しなければならないだろうし、自宅でオンラインワークする人はクーラーも必要だろうし案外電力需要は多いのではないだろうか。 マスク着用で室内温度も下げなければならなかったりもしな…
…止まってしまう。 大雨が降れば大和川が氾濫しそうだと言い、接触事故や人身事故だと言いよく止まる。 そしてその復旧までにかなりの時間がかかる。 八尾駅に向かうといつものように人がいない、そして改札機の前にはホワイトボードが置かれ『沿線火災のため見通しが立たない運休』とある。 今日は多くの方が長い長い夏休み明けの出勤のような出社日で、疲れた帰りに駅で出鼻をくじかれたような仕打ちに出会うのではないだろうか。 やれやれ、と思ってあきらめて天王寺あたりで一杯やって帰る人も出て来るかも知…
春の嵐のような雨風は過ぎ去った。 桜の花は散り、若い緑が目立ち出した。 見る者のいない葉桜をながめながら駅に向かった。 時々ふとした事で以前の事を思い出す。 ゼネコンに入社し、事務として京都営業所に在籍していた時である。 日曜日に事務所で一人仕事をしていると、現場の所長や主任たちが事務所にやって来て事務仕事を始めることが、よくあった。 複数人が集まり、話をして昼メシを食べて午後には帰っていった。 休みに出て来るのが不思議だった。 私は当時営業所の上で独身生活しており、自分の能…
…ない経験である。 『雨降って地固まる』のようにすべてが良い方向に向かい、皆が変われるチャンスがあるような気がする。 悪いことばかりではないと思う。 悪いことばかりにしてはならない。 必ず終息する事態である。 先を見据えて考えて生きるちょうど良い訓練の場かも知れない。 ◆今週のオススメ「小随筆」 お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪ ●レガッタなどという高尚なものにまったく縁のない人生を送ってきた。 「ボートレース」と言えばそのまま「…
雨で外に出れない日には部屋で読書と決まっていた。 すべてをあきらめ考え過ぎず部屋で読書と決めていた。 社会人にはなかなか出来ぬこんな事を学生だから出来ていた。 40年も前のことである。 時間を持て余してしまうなんて、今考えたらどんなに贅沢な事なのかよく分かる。 でもそんな時間が人間には時々必要だと思う。 死活問題の瀬戸際に立たされている人がいる中、こんな事を言っていたら怒られてしまうがエープリルフールということで勘弁してもらいたい。 考え詰めたらいい考えには到達しない。 違う…
…った。 四月の台北は雨季に入っていた。 市内にある松山空港に夜独り降り立った。 湿潤な空気のロビーには数年ぶりに会うケンケンが手を振って立っていた。 二週間、ケンケンに諭され、説教された。 そして忙しい合間を縫って観光や食事にも屋台から圓山大飯店まであらゆる場所に連れて行ってくれた。 料理店での体験学習もさせてもらった。 その時私には子ども心に中華料理店を経営して障害を持つ兄をそこで働かせたいという考えがあった。 本当に子どもの考えであった。 その時、ケンケンに聞いた魚の食べ…