合気道 の検索結果:
…うです。 今日から当合気道阿部野道場も稽古を再開します。 会員さんの動きを伺っていると皆さんそれぞれです。 東京では再び感染者が増えているようですね。 経済活動との兼ね合いと知事選も絡んでなんだか誰かの都合なのか難しい判断がなされているようですね。 さぁ、大阪の行方を知る者は誰もいません。 とりあえず自己責任で出て来る会員さんと稽古を始めます。 普段出来ないような、私の知る合気道の本質に迫った稽古をやるつもりです。 端部から相手を投げる、動かす、制する地味な鍛錬をしばらくはや…
…思っていたのですが、合気道の稽古をしなくなった事がかなり大きな生活の変化です。 金曜日の夜と、日曜日はほぼ一日の間拘束されていた時間が自由となりました。 ここでふと考えます。 何故ここまでやって来たのか。 皆さんから会費はいただいていますが、道場を始めるために購入したマット代、月々のスタジオのレンタル利用料などで消えていきます。 ボランティアの世界です。 周りの仲間たちもそんな方が多いと思います。 好きだから、が一番ですがここまで世話になってきた合気道や多くの先生、先輩方への…
…。 明けても暮れても合気道の大学生活だった。 夏の合宿で私たちには『生水禁止命令』が出た。 その時代はどこもがそうであった。 今では考えれない筋トレやシゴキがあった。 稽古中、練習中に水を飲むなとというのはどこの運動部でも共通だった。 当時の学生はカラダが丈夫だったのかも知れない。 学生が倒れたり、死んだりというのはあまり聞いたことはなかった。 でも合宿中の稽古は辛かった。 一年の時、稽古後の師範の風呂の三助に現在東京で活躍している幸本と二人でついたことがある。 師範のあがっ…
当合気道阿部野道場では七月から通常通り稽古を始めます。 第1発目は7月3日金曜日の稽古です。 稽古にいらっしゃる皆さん、マスクを忘れずに来て下さい。 お待ちしています。 さて、音を立てるように世の中が変わりつつあります。 音は聞こえるものの何がどうなることやら皆それを探っているところのようですね。 少し前から若者たちの気質が外向きではなく、内に向かっているとの論評を目にしました。 時代が変わり、環境が変わってそれは仕方ない事だと思っていました。 今回は若者ばかりか世の中全体が…
…す前足は右でした。 合気道の稽古では必ず右と左を行います。 どんな場合にも対応出来なければなりません。 とっさに右も左も同じように動かさなければなりません。。 そんな稽古は身体にも脳にも良いように思います。 合気道に実戦はありませんが得物(太刀や杖)を持ち戦う際の動きが合気道の動きであり、その得物が自身の手から離れてしまった時に私たちが道場で稽古している技となっていくと思っています。 身体の中心から左右平等に伸び出ている手足であるから訓練すれば同じように動かせるようになるでし…
大学合気道部の先輩から勧められて始めた俳句はなかなか進歩しません。 俳句に不可欠な季語、この季語を中心にものを考えるという技術は俳句に限ることではありません。 テーマを中心に物事を考える。 世の動きを中心に先を読み仕事する。 合気道の稽古でも同じです。 この稽古の場合、私のテーマはいつも基本です。 基本技無くして応用技はあり得ません。 形だけの合気道の技や武術の技は所詮馴れ合いの形だけの技です。 私は武道としての合気道に精神的なものも技術も求めています。 基本は地味で面白くな…
…クレ者だったのだ。 合気道の演武も嫌で仕方ない。 大勢の前で自己陶酔出来る人間が羨ましい。 出来たら私は相手と二人きりで体育館の裏にでも行ったほうがいい。 一人でコツコツすることが気楽でいい。 人との会話も無く、コツコツ前に進める事ができる、そんな事ほどストレスの無いことはない。 コロナと共に生きて行くためにテレワークをこのまま継続する会社があるとニュースで耳にした。 数ヶ月前の日常と現在とに会社的に大差が無ければそんな事もあるんだろうなと思っていた。 それによってストレスフ…
…のサラリーマンの姿が変わったように、マスクが原因で何人かが倒れてマスク不要宣言でも出なければ今の状況は続くのだろう。 そろそろ合気道の稽古の再開を具体的に考え出している。 四か月前のようには戻らないだろう。 メンバーも稽古方法も変わるのは仕方ないと思う。 ただ、この四か月は無意味では無い。 惰性の持続を切った後に生まれる何かがいつもあった。 わからなかった事がわかったりする。 経験しなければわからないだろうが必ずある。 それは『365歩のマーチ』の歌詞に似ているかも知れない。
…っていた時である。 合気道部の先輩がバイト代が出たから鰻を食わせてやる、と言う。 合気道部では先輩には絶対服従であり、その代わりという訳でもないのどが、金を払ったことは一度も無かった。 連れて行かれたのは新宿西口のしょんべん横丁の入口にあった怪しげなウナギ屋であった。 ウナギ丼が松竹梅のみならず、五段階くらいにランク分けられていたように記憶する。 その中で一番安い350円の丼をご馳走になった。 当時でもかなり安いウナギ丼だったのである。 が、しかしである、表面がこんがり焼けた…
…も美味いと思える。 合気道の稽古をしばらくしていない。 若い頃にはなんとか稽古をしたいと思ったものだが、今それは無い。 先に守るものを一番に考えるようになった。 そして、頭の中でわたしの身体は動いている。 イメージトレーニングであるが、実際身体を動かしていた時には理解出来なかった事が分かったりする。 夢の中でも稽古をしている。 詰めて稽古をする期間と仕事や家庭の都合でどうしても稽古の出来ない期間が交互にあった。 考える時間があって良かったと今は思っている。 なんだか味の調和と…
…事、母の事、兄の事、合気道の事そして仕事の事をいくつか頭に仕舞い込んでいればもう一杯である。 それらのどれかが必要に応じて一番目の順番にやって来て考え出すような感じである。 そして、一つが片付けば次が生まれている。 生きている間はずっと何かを考え続けるのだろう。 当たり前のこんな事をここで書くのは最近楽しい事を考える事の楽しさに気付いたからである。 だいたいの場合、やらなければならない事は嫌な事、逃げたい事である。 そしてこれらには期限が必ずある。 手帳にその期限は記すがずっ…
…がまだ続いている。 合気道の本それも綺麗そうなヤツを探してインターネットで探して日干しして手紙を添えて送っている。 返事を期待などしてはいなかったのだが、しばらくするとメールや手紙、葉書で返事が来る。 ご両親から言われての行動か、自身での行動かは分からないが良かったと思っている。 合気道の本が良かった.のではない。 子供たちの葉書や手紙を書く行為に至る過程と書いた行為が良かったと思っている。 受けた行為に何かを返す、それは言葉一つだけでも良いのだがそれすら欠けている風潮がある…
…る。 その次に私達の合気道は再会する。 インフルエンザとは違い命の危険のあるコロナ、慎重に行動して行きたい。 会員の皆さんの健康が一番、命が一番である。 それを失えば道場の存続は無くなる。 学生時代に合気道先代道主の植芝吉祥丸先生に第二次世界大戦直後の合気道本部道場の話を聞いた事がある。 復興のため、焼け出された一般の方を道場に仮の宿として使ってもらったり、奉仕をしたり、稽古など全く出来なかったと聞いた。 世の中が落ち着いた後、合気道普及のために各大学に合気道部を作ってもらい…
当合気道阿部野道場は諸般の状況を鑑みて六月度も稽古は休止としました。 緊急事態宣言が解除されたその日からすぐに何かが変わる訳では無いでしょう。 何を一義に考えるか、熟考の上の判断です。 以下は会員さんに送った文章です。 新年度に向かう三月にうごめき出した新型コロナウィルスに皆さんそろそろ疲れを感じてきているころではないでしょうか。各人の自覚によって保たれつつある平穏の中、緊急事態措置も徐々に変わってきます。しかしながら合気道の稽古の再開は当阿倍野道場では時期早尚として六月度も…
…という事だろうか。 合気道の稽古は二人で行う。 技をかける取りとその受けをする受けで行う。 この中でもそんな関係が成立する。 演武用の技に走る人間が多い。 合気道を知らなかったり、初心者は見栄えで判断しがちである。 それがかなりの稽古年数を積んできた人間の中にもそんな風潮があったりする。 合気道をどう考えるかは個々人の自由である。 しかし合気道の演武を演舞と勘違いさせるようなのはごめん被りたい。 『武道』としての合気道を私は続けていきたい。 そのためのコーヒーとチョコは、コー…
…っている。 昼間大学合気道部の同期の男と電話でいろいろ話ししていた。 私の手の届かない雲の上で仕事をしている男であるが会えば、話をすれば、40年前に戻る。 『お前らしい生き方だ』と言われ腑に落ちた。 ただ、『生き方』と『生きる』は別物である。 平和な世の中が続いていた中、今回ほど『生きる』を真剣に考えた事はない、と思える人は少なくないのではないのだろうか。 戦争を経験していない私たちにある意味ある部分はその戦時中に擬似した世界にいるように思う。 直接な『死』でも間接的な『死』…
…通行の手紙も多い。 合気道の稽古が休みになってから家内が子供たちに手紙や本を送っている。 家内は返信を期待しているわけではない。 子供達へ思いを馳せてせっせと重い筆を走らせる。 合気道の本をインターネットで見つけて日干しして滅菌消毒をしている。 廃れていく読書文化をなんとかしようと『7日間ブックカバーチャレンジ』というのがあったが、読書よりもこの手紙の方が世の中からなくなる可能性が高いのではないだろうか。 メールを否定はしない。 孫がおじいちゃん、おばあちゃんに文章ばかりか写…
…る生活に発想の転換や柔軟な発想を持ちたいものである。 嫌なこと、辛いことは最初からそんなものだと思えばなんてことはない。 嫌なこと、辛いことが無ければ楽しいことは存在しないと考えればいい。 シューラスクを眺めながら合気道の稽古の再開を考えていた。 私にはシューラスクはどう見てもシュークリームの皮にしか見えなかった。 つくづく自分の凡人さを感じる。 不安無く、稽古が出来る方法はなかなか思い浮かばない。 柔軟な発想ではなく、ここは発想の転換しかないような気はしているのであるが、、
…。 我々の学生時代の合気道の稽古も厳しかった。 腕立て、腹筋の回数ばかりではなく、稽古終了後に先輩方に投げられ続けた。 厳しい投げ技ではあったが、それを続けるうちに自分の身は自分で守れるようになった。 どんな投げ方をされても頭を打つことが無くなった。 子供ではない私たちは自分の身は自分で守らなければならない。 それも稽古だと思う。 ただ子供たちにそんな指導は出来ない。 ケガはさせてはならない。 細心の注意を払ってケガの無いようにしなければならない。 頭を打たせるような事があっ…
…えるのは生活あっての合気道である。 プロではない、生活や命まで投げ打って稽古を続けることはナンセンス以前の問題であろう。 稽古が好きだ、、、 という言葉を聞くのは悪い気持ちはしない。 でも、一番に考えなければならないことは合気道でないはずである。 まだ、機は熟していないと思う。 『宣言』が解除されたからといって次の日から状況は変わることはない。 会員さん達とも相談してみようと思う。 私にとって一番の問題は稽古する場所である。 現在お世話になっているスタジオだって生きていかねば…
…を故障され力を抜いた合気道に変わっていかれる。 すべてには『気付き』が必要なようである。 そこで初めてスイッチが入る。 子供たちのスイッチは何だったのだろう。 今度会ったら聞いてみたい。 私の筋トレはここで言うほど大したことでは無い。 腕立て、腹筋、スクワット、あとは木剣振りくらいである。 徐々に回数を増していく予定である。 自分の身体を支えることの出来るだけの筋力を備えておきたい。 受け身が取れなくなってしまったら合気道はやめようと思う。 帯も袴も洗濯して引き出しにしまおう…
… 実家に帰らなくとも合気道の稽古か仕事で休みは終わっていた。 稽古も仕事も無く一日中家にいるのは本当に久しぶりだった。 子供に手のかかるお父さんお母さん方はまだしばらく大変だろうが、過ぎ去れば懐かしい思い出となると思う。 子供たちと共に過ごす時間の貴重さは子供の成長と共にしみじみと感じていくものと思う。 いずれは誰にでものしかかって来る介護を誰もが漠然とは意識するものの、実際やって来なければその具体は分からない。 皆その時になって苦労して個々のやり方を作っていく。 表現が難し…
…も大変お世話になった合気道の市橋紀彦先生のことを帰宅して手を洗っていて思い出した。 今もその当時も本部道場には日本全国、世界各国から多くの方が稽古に来ていた。 私たち学生は朝8時からの稽古を中心に日曜日以外ほぼ毎日行っていた。 東京では当時から、いや合気道の歴史の黎明期から各大学に本部道場の師範が派遣されていた。 たまたま私が在籍した武蔵大学合気道部の師範が市橋先生だった。 狭い枠の中での稽古に浸るのではなく、たくさんの先生、たくさんの方との稽古をすることを先生は望んでいたの…
…機会である、ある程度合気道が理解出来ている皆さんにはイメージトレーニングが一番だと思う。 頭の中で繰り返し繰り返し、自分の頭に残っている技を続けて欲しい。 そして、なぜそんな動きをするのか、なぜそんな動きになるのかを考えて欲しい。 いい機会だから技を理解して欲しい。 自分なりの理屈でもいい、自分なりでいいから理解して欲しい。 それをしておくと、必ず気付く時が来る。 自分の理解が正解であっても、不正解であってもだ。 正確な剣の振りを考えてそれを捌き、技につなげる。 そのためには…
合気道阿部野道場の稽古は五月も休みます。 二十歳で合気道を始めていろんなことを経験しました。 不思議ですが辛い事は記憶から消えています。 稽古は本来辛いものです。 そう思いやって来たことだから辛い記憶は無いのかも知れません。 今の私にとって合気道が生活の一部となっていても合気道が全てではありません。 合気道は私の人生の一部という言い方が正確かも知れません。 そして今人を教えることによって責任が生まれました。 今回の事は人の命の関わることです。 責任者として中途半端な決断は出来…
…こまできたら自身の『体力』と『耐力』を出来る限り増強しようと思っている。 危険な場所には近寄らず、よく食べ、よく寝て、でき得る限りの保身を心掛けるつもりである。 合気道という武道をほんの少し齧り、世の中に存在する『危険な臭い』や『嫌な予感』を肌で感じることを鍛えてきたと思っている。 武道には勝ち負けばかりでなくそんな側面も持ち合わせていると思っている。 いつも混み合う時間の東海道線に乗り、私でなくても異常さを感じることと思う。 危機管理の力を高めるチャンスであるかも知れない。
…けで幸せだと言う。 合気道もきれいなものの一つだそうである。 無理なく無駄な力無しでの合気道の技は実際美しい。 私の合気道はまだまだそれにはほどとおい。 生まれてこの方遭遇したことの無かった事態に、皆戸惑いまだ慣れてはいないのだろうが、いずれは皆慣れて新たな自分の生活スタイルが出来上がっていくのであろう。 私はこの新型コロナのウィルスが蔓延するだいぶ前から家にいる時は部屋にこもり作業をすることが多かった。 もともと一人は苦手ではない、一ヶ月くらい監禁されても『暮らしの手帖』で…
…る。 ひょっとしたら合気道よりも、料理をすることよりも好きかも知れない。 広い宇宙であってデカい地球である。 分からない事があってもなんの不思議も無いといつも思う。 ただ、その不思議は感動を与えてくれる。 人類の祖先達が残した遺跡だってそうである。 ギザのピラミッドにしても、日本の城にしたって当時の技術の粋と莫大な労力で建造可能なのである。 しかし、そこまでやってしまったのが不思議であり、残っているのが不思議であり目の前にすれば感動しかない。 性格的に物事によっては深く考えな…
…風はとても冷たい。 合気道の稽古から離れてひと月半になろうとしている。 私の社会人になってからの合気道の稽古はずいぶん歯抜けである。 社会人が余暇をつかっての稽古である、ひと月や半年くらい稽古が出来なない期間があっても当たり前だと思っている。 男ならばまずは仕事、子育て、後から介護が追いかけて来る場合もある。 女性には妊娠、出産という大きな仕事が加わる。 そういう諸々を抱えながらも『忘れたくない』気持ちが私に合気道を続けさせてきた。 社会人に毎日は難しいが週に何度か稽古しない…
… 久しぶりにみた夢は合気道ではなくこの『ムエタイ』でした。 私はこの『ムエタイ』が世界で最強の格闘技だと思っています。 もともとはアジア大陸の中のタイという国の民が陸続きで攻め入って来る異国民と素手で戦った歴史から生まれています。 現在は興行、賭博の対象であり、金の無い家の子供達は一獲千金を夢見てリングに上がります。 生きるための格闘技なのです。 ここが『強さ』なんですね。 生きるための『ムエタイ』です。 健康のため、趣味のためやる武道とはわけが違います。 『死ぬか生きるか』…