スタンディングみや(でした。)

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合気道 の検索結果:

ネギを刻み思い出す

…のヤサ男、私は大学の合気道部で彼は運動部には入ってなかったが空手をやってきた男だった。 二人とも人文学部の中でも女性ばかりが集まる学科にいた。 数少ない同性同士、自然と話をするようになり、仲良くなっていた。 決しておかしな仲ではない。 数少ない運動部以外の友人だった。 彼の部屋まで時々行き、私の四畳半一間の純和風のアパートの部屋とは違うワンルームの洋室に憧れた。 読む本も違い、時々本を貸してもらった。 三島由紀夫の『実感的スポーツ論』を未だに借りたままである。 卒業を待たずし…

二つのミカン

…10ヶ月であった。 合気道阿部野道場はご多分に漏れることなくニューコロナの影響で三月から七月に一度スタートしたものの5ヶ月間休まなければならなかった。 今はマスク着用で稽古している。 こんなスタイルでの稽古に徐々に違和感を無くしつつある。 仕方なし。 長いものには巻かれろ、といったところだろうか。 稽古出来るだけ幸せである。 今日は小学生の稽古生がミカンを二つ持ってきてくれた。 遠足に行ってミカン狩りをしたそうである。 学校へ行くことさえままならなかった時期を考えると本当に良…

思いを伝えるには

合気道の稽古ではないのだが、自分の考えや思いを伝える難しさを感じている。 もちろん、相手方の理解力も関係する。 それを見極めて話をしたつもりでもなかなか上手く伝わらない時がある。 しばらく付き合ってみないと分からない相手の資質ってものもある。 それを考え合わせてストレートに伝えてみたり婉曲させたりするのだが、その資質の捉え方が一方的なのであろう。 要は失敗してしまう時がある。 相手に合わせて考えを分解して分かりやすくし、言葉を選んで伝える。 そしてどこまで理解したかの反応をつ…

合気道の稽古で考える

…た。 昨日、日曜日は合気道の稽古、閉ざされたスタジオ内での稽古はもったいないような一日でした。 合気道の稽古は『取り』(技をする人)と『受け』(受け身をする人)の二人が交代しながら交互に同じ技を繰り返して行い習得していきます。 『受け』が攻撃を仕掛け、『取り』がその攻撃をかわす方法を『さばき』と言います。 さばきながら技をするのです。 簡単に整理すると『さばき』の数にそのあとする投げたり、固めたりする技の数を掛けた合わせたものが技の数になります。 そして、その『さばき』に対す…

睡眠の秋

…もちろん酔っていない日中です。 座った座席の背に当たる陽射しは柔らかく、暖かく、ひょっとしたらこの時間が私には一番の睡眠の時間かも知れません。 年齢とともに自分の身体や能力に変化が起きているのが分かります。 それを私は面白いと受け止めています。 これまでとは違う環境の下、変わっていく体力、能力でどう生きて行くか、どう合気道の稽古を続けて行くか考えるのも面白いものです。 でもしばらく寝る時には考えないようにします。 残り少ないこの秋の心地良い夜を楽しんで眠りにつくことにします。

それぞれの合気道

…面白いのであろう。 合気道も同じである。 合気道を自分の生活においてどう位置付けるか、同じ技一つでもどうイメージするかで変わってくる。 今の平和な世の中で合気道を武道として捉えてひたすら心身の鍛錬に励むのは時代おくれと言うか、ナンセンスと言われかねない。 生活あっての合気道と考えれば当然のことなのであるが、 私の若かった時代には自分の身ばかりではなく、大切な人をいざという時に守るために武道や格闘技を自分のものにしたいと思う人間が少なくなかったように思う。 今の世の方がある意味…

さようなら山形の秋

…努力があるのです。 合気道の強さと美しさは表裏一体です。 それは美しい姿勢からなる基本動作が合気道の技を組み立てているからです。 植芝盛平先生が修練と本能の中から生み出した合気道は美しい強さです。 我々凡人は盛平先生から続く合気道を目にして、身体で感じてひたすら稽古に励むばかりです。 そして冬場のブドウ棚の点検のように日々の生活の中でも合気道を考えなければならないのかも知れません。 すべての人におススメするわけではありませんが、物事を修めるってのはそんなものではないでしょうか…

不断の努力

…ない。 何を大切にするのか、何を優先させるかなんだろう。 私の場合、そんな事をしているといつも自分の事が最後になってしまう。 河島英五の『時代おくれ』のような感じである。 あんな渋い男になりたいが、飲めば毎回酔っ払い、毎晩眠い眼をこすりながら部屋で仕事をしている。 でも、目指すは『時代おくれ』の歌詞の最後の ♫人の心を見つめ続ける ♫時代おくれの男になりたい である。 ただの時代おくれのオジサンと言われないよう不断の努力をしていきます。 さて、今日はこれから合気道の稽古です。

兼題『秋晴』

今回も大学の合気道部の先輩と投句している俳句投稿サイトのお便りコーナーの文章です。 母が他界した後、八月末の投句だったと思います。 暑いなか、この時期の爽やかさを想像しての投句でした。 ◆今週のオススメ「小随筆」 お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪ ●古来豊年万作を祝い、神に感謝するであろう秋祭り、ただ浮かれ楽しい秋祭りを享受する子どもたちにとってそんな理由はどうでもよいことだろう。 しかし、私は子供の頃秋祭りの日に母の用意するハ…

稽古を終えて伺った書展

仕事を終えて合気道の稽古、そしてその後、長くお世話になっている人生の先輩が極めていらっしゃる書道の個展に行ってきました。 私が決して書くことの出来ない素敵な漢字が並んでいました。 『関』、入り口にあるこの一枚が頭から離れません。 教員だったこの先輩は多くの若者に関わって来ました 夜間の工業高校の教員として教壇に立ち、一度は教頭をしておりながら現場に戻りたく、一般の教員に戻ったそうです。 最後まで生徒との関わりを大切にしたかったそうです。 関わりの『関』であり、先輩の人生の道程…

秋の夕に考えたこと

…の時言われた「宮島は合気道やってるから大丈夫だよ」が今まで妙に頭に残る言葉なのである。 好きだから、忘れたくないと思い続けてきた合気道と合気道の仲間に助けてもらい、ここまで来ているから中村君の言ったことは間違いではない。 やや老化してきた身体にムチを打ち今日も稽古に向かう。 この先の修正後のプロットにはもちろん合気道も織り込んでいる。 残りの人生をまだまだ修正しながらであろうが前を向いて歩いていくつもである。 とりあえずこれからの時間は合気道の稽古である。 余計なことは考えな…

昨夜みた夢

…う、私の向かいに青学合気道部の冨田が座って紹興酒を飲んでいた。 ずっとそこにいたように「宮島、熱いから気を付けろよ。」と、几帳面な冨田の発言があった。 そう言えば冨田と二人で台湾まで行った。 青学合気道部の合宿を台湾でやる計画があり、その下見に誘われたのだ。 ああ、これは夢だなと思った瞬間、黄さんが登場した。 「あなた達は学生なのに、、、」 いつもの黄さんの口調であった。 「ああ、夢なら覚めて欲しい。」 そう思い目覚めた後はまったく寝た気がしなかった。 九十を過ぎた台湾の母で…

稽古と頭の体操

さて、今日は合気道の稽古でした。 仕事を終えて通天閣を横目に道場に向かいました。 子供たちと私より歳上の熱心な会員さんお二人が家内と共に稽古されていました。 お一方は初段、もうお一方も初段目前です。 ある程度合気道が分かってきているお二人です。 私の講釈が多くなりますが、若くは無いお二人です、技の理解から入っていただくのが一番近道です。 カラダで覚えていく時間はありません。 たまたま高齢者と後期高齢者のお二人のみでした。 なかなか無いタイミングで、こんな稽古もよいものだと思い…

金曜日の夕の至福

…ればいい。 それが先の活力になればいい。 弛緩の時間はなんでもいい。 飲むもよし、食べるもやし、ウィンドウショッピングでも、風呂にゆっくり浸かるのでもいい。 カラダと脳、そして心を休めてまた来週から戦ってください。 まったく違う脳を動かして運動するのもいいものですよ。 私はこれから合気道の稽古です。 その前にコーヒータイムです。 合気道の稽古もなかなかいいものです。 汗をかき、仕事からまったく離れた方たちと会話をして今夜はゆっくり休みます。 これが私の金曜日の至福の時間です。

進まない片付け

…専念できなかった。 合気道の稽古も始まりなかなか休みは片付けの時間とならなかった。 片付けのために仕事を休むわけにはいかなかった。 順序付けをしながら時間が過ぎてみればば、なんとまとまりのない家の中となっている。 まぁ、仕方ないとしよう。 カラダは一つしかないからどうしようもない。 ちょうど秋風が吹き出した。 私のために秋が訪れたとしよう。 秋の夜長にぽつぽつと片付けて心地良い空間にしよう。 今年の秋は読書の秋ならず、私には片付けの秋となる。 一つ一つを大切に一冊一冊を丁寧に…

合気道のススメ

…万人におススメしたい合気道、今回は同年代以上におススメしたいと思います。 一、仕事一本で生きてきた貴方、定年後何をされるか決まってますか? 無為な時間が人間に必要ではありますが、四六時中が無為な時間、テレビ相手の欠かさぬ晩酌では間違い無く認知症へ一直線です。 一、生まれてこの方運動らしき事をしたことの無い貴方、今更身体を動かすことなんか始められないとあきらめてはいませんか? ここから速度を増して体力は落ち病気がちな身体へと変化していく事は周知の事実です。 一、真面目に仕事をや…

稽古の日、普段の毎日

合気道の稽古の日。 コロナ禍で再々開した稽古の日、まだ全員が復帰してきたわけではないがいつものメンバーでマスク姿で稽古は始まった。 そんな中ではあるが、会員が4名増えた。 小学生低学年のお子さんと、共に始めたお母さん。 別々の中年男性が2人。 狭い道場で賑やかに稽古している。 思うのはやはり皆、閉鎖された社会の中無駄の無い生活には疲れているのではないだろうかということだ。 無駄だらけの私にはこの新型コロナの数ヶ月も忙しい時間が過ぎて行った。 そして、その間に還暦を迎えた。 年…

還暦の朝

…である。 60と言えば定年の年齢、そんなイメージしか以前は持っていなかった。 しかし、老人は元気になり、国は元気がなくなり老人の力も必要となったわけでまだまだ頑張れる舞台はある。 大学合気道部の後輩から祝いのメッセージをもらった。 『お体に気をつけて、楽しんでください』と。 その通りだと思う。 楽しくなければ人生を歩む意味はない。 そのためには健康は必須である。 合気道の稽古を自身の健康のバロメーターとしてこの先も好きなことをボチボチとやって行こうと心に誓う還暦の朝であった。

稽古始めます

…倒な事は嫌いです。 合気道を人に教えるなんて事は論外のことでした。 始めたのは家内の言葉でした。 「始めてみない」の言葉でした。 私の考えていない事を家内は考えていたのです。 確たる理由も無く、好きだから、忘れたくないから、合気道を続けて来ました。 家内の言葉でそれだけではよくないと気づきました。 私が教えられた事を伝えていくのは当たり前のことであり、教えていただいてきた先生方への恩返しなんだと気づきました。 始めてから多くの人たちと出会い、合気道を面白く、楽しいと言ってくれ…

兼題『藤袴』ふじばかま

…そ事を考えている。 合気道の袴には藤色はどうかなぁ、女性が身につけるならばサマになるかな、俺ははきたくないなあ、などといつも余計なことを考えていてなかなか十七音の創作に身が入らない。 ダラダラと書く長い文章は筆が進むが、今回の十七音にも苦戦を強いられた。 取り上げられたダラダラ文章です。 ◆今週のオススメ「小随筆」 お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、 お人柄が見えてくる~♪ ●私の机に友人の結婚式の引き出物でもらった小物入れがある。 三層の引き出し形式…

記憶の引き出し

大学合気道部の先輩から誘われて俳句を始めて足掛け三年、忙しさを理由に真剣に向き合うことは無かった。 書きやすい文章をダラダラと綴り先輩に付き合いをしていた。 しかし、最近始まった夏井いつきのYouTubeを時々目にして奥の深さを感じている。 兼題となる季語を『記憶の再生装置』と夏井いつきは言う。 一つの言葉に対する意味は共通だが、イメージは共通ではない。 だから皆が違う俳句を作る。 感ずるところは人によって違うだろう。 たぶん私のセンサーは普通の人とは違うようであるからずいぶ…

マスクのお供

…のマスクのヒダに引っ掛けれるようになっている。 なかなか考えられている。 ヒダが無くともズレ落ちる事はない。 洗って何度も使える。 合気道の稽古に向いてると思い買ったが、現在稽古はお休みにしている。 まだまだたくさんのデザインや機能を待ち合わせたマスクや関連商品が登場することであろう。 しばらくは嫌でもしなければならないマスクであろうから、どうせならば楽しく、快適に共に過ごしたいものである。 あとしばらくこの『マスクフレーム』と共に過ごし、残暑を乗り切って行こうと思っている。

チャーハンと焼き飯

…想の味に、思い出の味に到達する日が来るかもしれない。 簡単そうなチャーハンと焼き飯であるが、実はそれほど簡単ではない。 簡単そうに見える料理の方が案外奥が深かったりするのは料理以外の何でも同じかもしれない。 合気道の技も同じかもしれない。 同じ技を繰り返し繰り返し行い、その度に拙い考えを加えていく。 到達するところは無い。 と、すると料理にも到達する味なんてのは無いのかもしれない。 料理も日々精進なのかもしれない。 そんなふうに考えることの出来る料理は私には楽しい作業である。

兼題『蟬』

…日で毎年行われる大学合気道部の夏合宿であった。 夏の苦しい思い出しか白馬に持たない私たちに民宿のご主人からは冬にいらっしゃいと毎回言われ、よろしくお願いしますと言っていたその約束は果たすことなくご主人は他界し、宿は白馬の震災で無くなってしまった。 宿の裏手の山中に道場はあった。 開け放った窓からトンボが私たちの稽古を見学に来るような緑の中の道場だった。 稽古などするのがもったいない環境だった。 それなのに普段以上に厳しい稽古が行われた。 午後の稽古の終了時間に近づくとさすがに…

面白くないコロナ関連の話

合気道の稽古の8月休会の旨を会員の皆さんにlineで送っていた。 誰もがこの未経験の新型コロナ対応にいささか面倒くささや煩わしさを感じ出しているのではないだろうか。 各国により広がり方や重症化が違い、なんとなく私たちは今の日本の状況に慣れてコロナを軽視し出しているような気がする。 しかし、現実では今日現在で世界の死亡者数は65万人を超えているそうである。 ペストでは世界で数千万人が死亡したというが時代が違う。 まだ一年にも満たない期間で、現代社会における死亡者数ではかなりの数…

八月の稽古お休みのお知らせ

…は仕事、学業です。 合気道はたぶん四番目、五番目、それ以下かも知れません。 普段から生活あっての合気道と皆さんに言っています。 その向き合う感覚は個々で違うでしょう。 でも、このタイミングで合気道が上位に上がるべきではないでしょう。 先人達がここまでどのように合気道に取り組んで来たかを考えます。 第二世界大戦中はもっと大変な時代だったに違いありません。 ひょっとしたら、そこで無くなっていたかも知れない合気道を繋いできた先代合気道道主方のご苦労を考えれば、今を乗り切るのはそれほ…

ボチボチやろう。

…と思う。 不思議だが、ちょうど私の人生の節目の六十という年齢を迎える九月から新しい生活が始まる。 合気道のこともボチボチ考えていこう。 母、兄のことも忘れず、これもボチボチ考えていこう。 仕事もボチボチしていこう。 本はこれからは近くの図書館で借りることにしよう。 ものはなるべく増やさないでボチボチやっていこう。 家にこもる仕事に慣れてしまったが、これからは生まれ変わった夜の街にも時々出かけてボチボチやっていこう。 前を向いてまた新しいことをやっていこうと思う。 ボチボチと。

雨の通天閣

…でも授業はサボっても合気道の稽古は休まなかった。 サラリーマン時代のこと、台風が来ようが、地震が来ようが、二日酔いでも会社を休むことは無かった。 基本的に責任感の強い人間だと自分のことを思っている。 学生時代は先輩が恐くて稽古を休まなかったが、立場になれば責任感だった。 仕事ももちろん責任感であった。 今日は休みだった。 雨の中、重たい身体を引きずって天王寺まで出て来た。 まだまだ先を見通すことと出来ないコロナ下で今月から稽古を始めた。 難しい判断の中でのスタートには各人の分…

稽古の帰り道

…余裕を持つことと、実生活と関係無い脳を働かせるために合気道の稽古は良いかと思いますが、しばらくは違うモノに置き換えた方が良いのかも知れません。 しかしながら新型コロナのせいで誰もが動かしたことの無い脳を動かしていることと思います。 そんな意味では良い部分もある新型コロナかな、とも思います。 稽古の帰り、天王寺の繁華街を歩くと以前と変わらない人の波でした。 皆が慣れてきた、というより麻痺してきたという感じがします。 なんとなく不安を感じながら通天閣の見える光景をあとにしました。

人と会わない順位付け

…んある。 そんな中で合気道の稽古を選んで道場まで足を運んでくれる皆さんにしっかり私の合気道を伝えなければならないと思った。 東京ではまた感染が広がっているようである。 東京にある我が母校武蔵大学では課外活動での部室を含む学内施設すべての使用が禁止されており、再開も未定であり、今後の見通しが全く立たないそうである。 そんな中で学生達は新入生を受け入れ、各運動部は新人の勧誘を行い、今につなげているようである。 インターネットの普及が可能にした技であるが今まで誰も経験していない苦労…